高松寺は、戸塚駅より徒歩10分にある文禄2年(1593)に開山創建した寺院です。

澗岳山 髙松寺について

髙松寺は、髙松三郎頼重を開基として創建、龍甫珠公が文禄2年(1593)に開山創建、雲岫周泰が中興しました。


髙松寺所蔵の文化財

雲岫和尚像一幅(横浜市指定有形文化財)
仏涅槃図一幅(横浜市指定有形文化財)

雲岫和尚像一幅について

雲岫和尚像は、当寺中興六世とされる雲岫周泰の頂相(禅宗の肖像画)です。
やや右向きに法被を掛けた曲?に坐し、台上に覆をおきます。曲?の右肩に立てかけた杖には背負い紐と払子が掛かり、衣は墨彩色で表出されています。図上に左書の著賛があります。
雲岫は夢想疎石の系統である芳林中恩(円覚一四六世)の法嗣で、天文二十一年(1552)に示寂しました。賛者は像主五世の法孫に当り、元禄十六年(1703)の大地震復興に尽し、元文二年(1737)に示寂しています。
本図は遺像と思われますが、図様・描法や著賛一などから見て著賛当時よりはやや古い、桃山から江戸時代の筆になるものかと推定されます。著賛遺例の少ないこの頃の作例として貴重なものです。
(横浜市教育委員会掲示より)。

仏涅槃図一幅について

釈尊八十歳のとき、故郷に近いクシナガラで終焉を迎えた情景を演出するこの図様は、「大涅槃像」と同「後分」によって構成されています。一般的な傾向としては、平安期の図様は画面の中で釈尊の占める部分が大きく、会衆が比較的少なくなっています。鎌倉時代以降になると周辺の情景に大きなスペースをさき、会衆‐ことに畜類が多くなって行きます。
本図は、描法・賦彩などからみて、江戸時代前半における江戸狩野系の町絵師の作と見られます。
(横浜市教育委員会掲示より)

山門について

開山龍甫珠公禅師開基髙松三郎頼重公が創建の古道場にして、六百三十有余年にわたり、澗岳山頭に赤幡を把ぐものなり。十五世黙堂中雷和尚が柦越の助力を得て、元禄十三年七月に鎌倉棟梁、渋谷七郎兵衛により、切妻作り、茅葺の四脚門を建立する。その後、大正十二年九月の関東大震災により破損の著しいのを、二十六世瑞鳳徳応和尚が有志柦越の浄財により昭和十二年三月に回収する。以来、幾度か茅葺替えをして、護持に努める。しかし、創建により三百年来の風雨により柱も傾き、また、茅葺替の方策も難くなる。徳応和尚の三十三年諱報恩事業として改築すべく寺世話人に相計り、山門改築実行委員会を設置する。浄財を広く有禄の柦信徒に得て、樹齢四百年の天然桧材にて、銅版本茅葺の鐘楼門を完工するものなり。なお、山門額は創建時のものを補修して掲げ、天上龍画は北天院桜井一渓師によって画れ、百五十貫の梵鐘は田辺春司氏の篤志によって奉納され「平成の鐘」とする。落慶式は大本山円覚寺派管長足立大進禅氏を導師として特請し厳修する。

閻魔堂について

閻魔堂です。

澗岳山 髙松寺

〒244-0003
神奈川県横浜市戸塚区4846